750. 初のフランス領事館

現在、モントレー・ビジター・センター(Monterey Visitors Center)となっているこの低くて控えめな建物は、かつて初のフランス領事館でした。1843年に、フランスと当時メキシコの支配下にあったアルタ・カリフォルニア間の外交、そして文化と商業の交流を振興するために設立されました。 この日干しレンガの建物は、在メキシカン・カリフォルニアの初のフランス領事・大使であったルイ・ガスケ(Louis Gasquet)の自宅でした。パリから直接もたらされた華麗な家具が使われました。 領事であったガスケの業務は、商人、農業従事者、猟師など、フランスからの移民を対象としました。モントレーの「40年代の大盛況期」には、町で最も混雑する場所のひとつでした。 アルタ・カリフォルニアを支配していたのはスペイン、そして後にはメキシコですが、モントレー地方とその主要港では、ロシア人、イギリス人、フランス人の間でめまぐるしい利権の競争がありました。フランス王のルイ・フィリップ一世(Louis Philippe the First)は、カリフォルニアを非常に重要視したので、フランスはモントレーに最初の領事館を設立する国となったのです。メキシコの官僚はこの事実を見逃さず、外国からの侵略の脅威に不安を抱いていました。 この不安には十分な根拠がありました。ガスケは、カリフォルニアをフランスの所有領土にすることを想定し、本国の政府に海軍を派遣するよう助言したのです。しかし、最初に到着し、モントレーを合衆国のものとしたのはアメリカ人のスロート将官(Commodore Sloat)でした。 ガスケはこの新しい政権の権限を認めることを拒否したため、護衛の下、短期間自宅に軟禁されました。解放されたガスケはフランスに帰還しました。 J.A.モーレンハウト(J.A. Moerenhaut)がガスケの後任としてやってきてからは、この家は「美しいバラと潅木と樹木の庭がある広々とした家」と描写されました。1850年、モーレンハウトはフランスで発生した革命のために帰還します。後、モントレーに戻ってきた彼は、この家がオークションで売られ、領事館はゴールドラッシュの新しい街、サンフランシスコに移動したことを知ります。 現在、モントレー・ビジター・センターであるこの日干しレンガの建物は再び、世界各国からやってきた人々の「大使」の役割を果たしています。ぜひ立ち寄って、モントレーの詳細や数々のアトラクション情報を取得してください。