510. オールド・フィッシャーマンズ・ワーフ

最初のモントレーの波止場(Monterey Wharf)は、この場所に1842年、トーマス・O・ラーキン(Thomas O. Larkin)の指示の下に建てれました。ラーキンは、在メキシカン・アルタ・カリフォルニアのアメリカ大使であり、傑出した商人でもありました。波止場は、石と板で作られました。貴重な服、靴、ワイン、そして乗客を船から安全に湾に降ろせるように工夫された埠頭でした。 1850年代、モントレー埠頭では蒸気船が乗客の他、木材、穀物などの品物を定期的に積み込みました。捕鯨者と漁師、貨物を扱う人や運送業者が、波止場を賑わせました。 ドックに入ったスクーナー船と蒸気船は、貨物と乗客の乗り降りを待機していました。それから時を経て1870年、太平洋蒸気船会社(Pacific Steamship Company)が、より大きな波止場を建設し、モントレー(Monterey)を往来する乗客と貨物のサービスと安全を向上させます。 20世紀への変わり目までに、波止場は小さな魚市場、倉庫、漁業用品などで賑わい、ガラス底の乗客船まで登場しました。イワシ漁とともに波止場も成長を続け、1913年には、重要度の増す漁業を援助する目的でモントレー市(City of Monterey)が所有権を握ります。イワシは毎日のようにこの波止場から出荷され、街には様々な雇用と収入がもたらされました。イワシの季節であれば日曜日の午後はいつも、船に食品を運ぶ運送トラック、家族とともにやってくる漁師、そして賑わう町を訪れる観光客たちを目にすることができました。 イワシ産業の崩壊後、フィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman’s Wharf)はレストラン、ギャラリー、土産店を得て再生。モントレーの豊かで多様な歴史において重要な役割を果たし続けています。