250. マーヴァイン要塞跡―太平洋岸初のアメリカの要塞

1846年7月に合衆国がメキシコ下のカリフォルニアの首都、モントレー(Monterey)の支配権を得て以来、西海岸で初めて、合衆国軍はこの丘の上にアメリカの要塞を設立しました。マーヴァイン要塞(Fort Mervine) は港を臨み、かつてエル・カスティーヨ(El Castillo)と呼ばれたスペインとメキシコの要塞の上部に位置します。 最終的にこの名前はウィリアム・マーヴァイン(William Mervine)大尉にちなんで付けられました。スロート将官(Commodore Sloat)の指示下にあったマーヴァイン大尉は、軍隊を陸上へと率いてモントレーの税関所(Custom House)にアメリカの旗を掲げました。 要塞の建設は、工学者であったヘンリー・ハレック中尉(Henry Halleck)とエドワード・O・C・オード中尉(Edward O.C. Ord)の指示の下、1846年に開始しました。両氏ともに、後にアメリカ南北戦争の将軍として名を残します。また、要塞の建設に貢献した若い中尉、ウィリアム・テカムセ・シャーマン(William Tecumseh Sherman)も南北戦争で大きな功績を残しました。竣工は1847年。 マーヴァイン要塞は当初、太平洋戦隊の海軍司令官にちなんでストックトン要塞として知られていました。1847年にアメリカ陸軍の第三砲兵隊が到着した際には、「モントレーの砦(Monterey Redoubt)」と改名されました。しかし、改名は続きました。これまでに、「ヒル要塞」、「サヴァンナ要塞」(スロート将官の旗艦)、「ハレック要塞」など、様々な名前を経てきました。しかし最後に残ったのはマーヴァイン要塞という名前です。 マーヴァイン要塞は、兵舎、将校の官舎、パン屋、その他の建物から成り、東の丘の上に立つ木製の柵に囲まれています。長さ約198メートル、幅122メートルのラヴェラン(半月ほう)がそれぞれの角にあります。ラヴェランとは角度をつけて強化した盛り土部分のことで砲弾を格納しています。今日、前方ラヴェランのみが残っており、4台の1861年の包囲攻撃ライフルと1台の約11キロの包囲攻撃榴弾砲が置かれています。 要塞は1852年、ゴールドラッシュの最中に閉鎖、南北戦争時に再開され、1865年に再度閉鎖しました。 マーヴァイン要塞跡は、今のモントレーの砦(Presidio of Monterey)の祖先として残っているだけです。