240. セラ記念碑

1891年以来、セラ神父の記念碑(Father Serra Monument )は、モントレー(Monterey)の港の上に広がる丘に立つランドマークとして知られてきました。この記念碑は、フニペロ・セラ(Junipero Serra)神父がモントレーに船で到着したことを記念するものです。セラ神父は、1770年6月3日、ガスパル・デ・ポルトラ(Gaspar de Portola)知事とともにモントレーを創設しました。フランシスコ会の修道士であったセラは、カリフォルニアにおけるカトリック布教団の創設者でした。 セラは、今日のローワー・プレジディオ 歴史公園(Lower Presidio Historic Park )の真下に上陸し、ポルトラに加わりました。彼らが率いた陸と海の探検隊は、長い間探していたモントレーを見つけたことを喜び、祝いました。セラとポルトラはスペイン帝国開拓線の最北のフロンティアとしてここに、布教本部、プレジディオ、要塞を築きました。 そして、1770年6月3日の日曜日、モントレーの港とアルタ・カリフォルニアの全てをスペインのために正式に所有しました。セラ神父は、古代から伝わるカシの木の下で感謝のミサを執り行いました。その168年前、まさしく同じ場所で、探検家のセバスチャン・ビズカイノ(Sebastian Vizcaino)の探検隊がここをスペインの領地と宣言した時に、ビズカイノがミサを行ったのです。 ポルトラ知事の兵隊がスペインの旗を掲げた時、知事とその役員たちは公式にモントレーを支配しました。長年敬われてきた伝統に従い、彼らは岩を東西へ、そして南北に動かし、肩の上に砂を投げ、大砲を撃ち、鐘を鳴らしました。 その後間もなく、ポルトラはスペインに帰還。セラ神父は残って、アルタ・カリフォルニアの最初の布教団をいくつか設立し、管理しました。セラはモントレーで仕事を開始しましたが、1771年には布教団を近くのカーメル(Carmel)に移動します。1784年に死亡し、カーメルの布教本部である、サン・カルロス・ボロメオ・デ・カルメロ(San Carlos Borromeo de Carmelo)に埋葬されました。 1891年、スタンフォード大学(Stanford University)の創設者、ジェーン・スタンフォード(Jane Stanford)は、夫であり知事のリーランド・スタンフォード(Leland Stanford)とともにジョン・コームズ(John Combs)に記念碑の建設を依頼しました。セラの上陸とモントレーの創設を記念するものです。スタンフォードは、スペインの旧要塞、エル・カスティーヨ(El Castillo)のあった、ローワー・プレジディオ(Lower Presidio)の最も際立つ場所に記念碑を建設するように要求しました。