030. カサ・ヴァスケーズ

この平穏で感じよいカサ・ヴァスケーズ(Casa Vasquez)が、19世紀のカリフォルニアで最も悪名高き強盗のひとりが子ども時代を過ごした家であるとは信じがたいことですが、1835年にティブルシオ・ヴァスケーズ(Tiburcio Vasquez)が生まれたのはこの家でした。皮肉なことに、彼の母親グアダルペ・カンツア・デ・ヴァスケーズ(Guadalupe Cantua de Vasquez)は、元の日干しレンガの平屋を、当時のモントレーの警視長官、ルイス・プラセンチア(Luis Placencia)から購入したのです。 ヴァスケーズはこの家で成長しました。昔の人は、若きヴァスケーズを利口で頭が良く、詩人、音楽家、ダンサーとして人気を博し、英語とスペイン語の両方を読み、書き、流暢に話すことができたと振り返りました。成長した彼はダンディな色男になったとともに、カリフォルニアの歴史で最も悪名高き強盗の一人になったのです。 ヴァスケーズとそのギャングは、20年近く犯罪のやり放題でした。ユカイアからロサンジェルスまで、店や駅馬車を強盗し、馬や牛を盗み、路上強盗を繰り返しました。 ヴァスケーズはその悪名で国中で有名になります。彼の首には、生きていれば8000ドル、死亡していれば6000ドルの報奨金がかけれました。ヴァスケーズは彼を捕えた人に、自分を大事に世話して傷の手当をした方がいい、と話したといいます。もし彼を死なせたなら、2000ドル損をする。少し優しくするだけで2000ドルの利益になるというわけです。 言い伝えによると、ヴァスケーズはしばしば実家に住む兄弟を訪れました。この家は、コルトン・ホール(Colton Hall)の真後ろにありますが、これは当時のモントレー郡裁判所で、その真隣は郡の刑務所だったのです。 1874年、ヴァスケーズはついに、法務執行官にサザン・カリフォルニア(今日のウェスト・ハリウッド)の隠れ家で捕らえられました。彼は人殺しを否定しましたが、殺人の罪に問われ、死刑判決を受けました。39歳でサン・ホゼで絞首刑を受けたとき、『シカゴ・トリビューン』紙は彼を「近年最も著しい無法者」と描写しました。 ヴァスケーズの家(Vasquez House)は、数名の所有者を経て、1922年、2階部分と裏部屋が増築されました。今日、カサ・ヴァスケーズはモントレー市(City of Monterey)が所有しており、市のレクレーション部門の事務所となっています。